ベトナムいってきました(前編)

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ベトナムは人たちは勤勉で、とても生き生きしている国だった

ベトナムはまだ独立して間もない国
自国を愛し、国民は生活をとても楽しんでいるように見えた
朝は早く5時に外に出てみると、たくさんの人たちがランニングしたり、サイクリング、
サッカー、バトミントンと、、、運動している人が多くいるんです。
東南アジアでこんな光景みたことなかった!

旅の話の前に、ベトナムのことを知って欲しい

知って欲しいなんて言いましたけど、今回の旅で僕もガイドさんから教えてもらいました。 ベトナムって中国、フランス、日本の影響が深い国なんです。 3分で説明させて頂くと、 ず~っと清に占領されていたんですが、1858年のコーチシナ戦争あたりから ベトナムの北部、中部、南部を清とフランスが戦って勝っては占領する。を繰り返してました。

1880年台になってからフランスも本気を出してきてついに1885年ベトナムすべてを占領し、統治下に置きました。 これが清仏戦争ですね、そして天津条約が締結されます。(なんとなく、聞いたことありますよね?) そのまま60年ほどフランス統治時代が長かったので、きっとこのタイミングでフランスパンがベトナムに入ってあのバインミーサンドイッチができたんじゃないか?というのは僕の妄想です。

そのあとに、第二次世界大戦で1940年にフランス領に進駐し始めたので、フランスと日本に半分ずつ統治されて、しまいには日本が占領します。しかし、日本は1945年8月14日に降伏を予告したので、ベトナム民族解放委員会が設立され、ホーチ・ミンが主席に選出されました!この方が国民に愛されているホーおじさんです!
1945年にベトナムは独立宣言を読みましたが、フランスは「そんなの知らないよ〜フランスの植民地にするぜ~」という気持ちが変わらず1954年には完全に南北で分断されてしまいます。この時に北側で首都のあるハノイをベトナムが、当時でいうサイゴン(現ホーチミン)のある南側をフランスが占領して戦います。 1965年になりアメリカがフランスの後を継いで戦争を始めるわけですが、これがあのランボーも関わっているベトナム戦争の始まりです!

そして!ついに来た!1975年!ベトナム勝利!!

ついにベトナム社会主義国として独立するわけです。その際にサイゴンはホーチミンに改名されます。そうなんです。ベトナムって独立してからまだ若い国なんです。ちなみに僕は食べるのが大好きなので、この歴史の中に食を見てしまいます。 ホーチミンのある南部はフランスとアメリカが長くいた土地です。だから、ホーチミンの料理がうまいんじゃないかと、、、。みなさんに求められているベトナム生春巻きも南部料理です!ハノイにはないんです〜〜意外!俺も求めてたのに!

というわけで今回はハノイに行ってきたんです!

初めてのハノイ!行くと決まってから、ホーチミンとは真逆の方向にあることを知りました! 首都なのに、国の北端!日本で例えると、北海道の札幌に首都があるようなものです。 そしてハノイの情報が少ない!旅行ガイドブックもホーチミンばかりです。 どうした?!首都ハノイ!なにがあるんだ!あ、ホーチミン廟がある!ホーおじさんの愛称で親しまれるホーチミンさんが眠る建物だ! うう、これもどうせならハノイじゃなくて、ホーチミンにあってほしい、、、。 しかもホーおじさんのかわいそうなエピソードがあります。 ホーおじさんは亡くなる前に遺書を残しました。 「遺骸を火葬して北部、中部、南部に分骨して埋葬すること」残したんですが 国民に愛されすぎたホーおじさんは”姿そのままにミイラとして大事にされてしまっています。

「うーん、何ともいえない!」

じゃ、ここまで長くなっちゃったから、続きは中編へ!
この記事を書いた人
高垣空斗 /sorato takagaki
20代は音楽を中心に活動。 トレモロイドでベースを担当。 同時に福岡から上京してきたアナにサポートで参加。 WEBデザインの勉強と同時に全てのバンドを脱退し、今プロフィールに悩んでいる。
  

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