宇多津町で体験移住!
瀬戸大橋を岡山から渡って来れば、入り口は宇多津町なんです
谷川町長は就任されてから約5年とお聞きしましたが,町の発展のためにどのような活動をされていますか?
各自治体においては、アナログ主体の情報発信が多くみられましたが、近年デジタル化が進むに伴い、ホームページの開設やtwitter,Facebook等の運用がされています。しかし民間よりもスピード感は遅いと感じています。 そのような中、アナログとデジタルの双方から発信することにより知名度や認知度の向上を行うことが必要あり、大変重要なことだと考えています。
宇多津町という名前を全国、世界中とまでは難しいですが発信することにより、一人でも多くの人々に町の魅力を知ってもらうことで、来町につながる可能性がありますよね。宇多津町という名前を知っていただかないことには、スマホ等インターネットで、検索すること自体がないでしょうからね。 瀬戸大橋を渡って、岡山から香川に入って高松方面・丸亀方面への交通アクセスも非常に良い所です。 その時に、宇多津町という町があったなと検索してもらった時に、「こんなところあるんや」となれば、お立ち寄りいただけるかもしれないですよね。
電車でも車でも瀬戸大橋を渡ると必ず宇多津町は通りますよね。途中下車してもらえるきっかけになるといいですよね
そうですね。 瀬戸大橋を渡ってこられる方たちの目的は、香川県の栗林公園や金比羅山、また高知や愛媛の道後に行かれる方も多いと思いますが、一人でも多くの方にわたしたちの町にお立ち寄りいただければと思っています。
宇多津町に立ち寄った人たちに一番最初に伝えたい魅力とはどんなことですか?
私は、町長就任前に町議会議員をしていました。その時に様々な場所へ行政視察に行きました。 本町のような古い歴史のある地域と、新しく開発されている地域が共存している町は数少なかったですね。 小さな町の中に、特徴ある2つの顔をもつ地域が共存していることは、素晴らしいことだと感じています。 歴史もあり、若者が集う新しい街にもなっていて、新旧のコントラストを持つユニークな町を私は、今までの行政視察では見たことがありません。 ぜひ来られた方には、新都市地域だけの滞在ではなく、古街(旧市街の名称)も訪れていただきたいですね。
本町の面積は8.10平方kmです。東西が2km、南北が4kmとご紹介しています。 このようなコンパクトな街は少ないと思います。コンパクトタウン・コンパクトシティなど各自治体が構想を打ち出していますが、 本町は最初からコンパクトタウンが形成されており、そこが本町の魅力だと考えています。 庁舎から中心に1km少しで大半のところに行くことができ、日常生活に必要なものも揃います。 買い物ができる場所も多くありませんでしたか?
そうですね、大型スーパーが4つもあってどこも宇多津町の生活を支えているように感じました。 特に産直スーパーが僕はとても気に入っていりました。早朝から町の人たちが自分のところで育てた野菜や穀物、そしてそれを使って作った惣菜などを決められたカゴや、ワゴンに並べて売っているんです。それぞれ自分でみんな運んできてるんですよね。 あの産直スーパーで宇多津に住んでいる皆さんの雰囲気が感じられて僕は楽しかったです。 昨晩食べた筑前煮は150円でとってもおいしかったですよ。
楽しんでもらえてるのであればこちらも嬉しく思います。
僕たちが滞在させてもらっているホテルは新都市と旧市街である古街を見渡せる位置にあります。 表からは絵に描いたような三角な山が並んでいてその麓には古街があり 裏側は大きな海と、瀬戸内海に浮かぶ島々が見えました。東京にはない景色でした。 でもこれは近いものほど当たり前に感じるから、ないものを新鮮に感じているだけかもしれません
そうですね。生活の中にある環境は当たり前に感じてしまいます。 良いところも、悪いところも見えにくくなるのかもしれませんね。 しかし、自分たちの町ですから自信と誇りは持っています。 良いところがたくさんあると考えています。
谷川町長の明るい笑顔が町を元気にしている
谷川町長が就任されてから様々な試行錯誤の中で 宇多津町に変化はありましたか?どのように変わったか教えてください。
変化したこと、、、そうですね。人が変わったと感じています。 特に子供がとても明るくなったと感じています。
それはお祭りとか、何かきっかけがあって変わったんですか?
子どもたちが通学したり、下校する時に「おはよう!」「こんにちは!」と挨拶すると みんな元気な笑顔で「おはようございます」と挨拶をしてくれるようになりました。 子どもたちが元気で明るくなったことにより、町も明るくなったと感じています。
私が住民の皆様からの信任をいただき、町長在任中は町の住民の皆様には、笑顔で日々を過ごしていただきたいと考えています。 ハード面を充実すれば街はよくなるのか? それは形だけであり、やはりソフト面が変わる必要があるのではないでしょうか。 どの自治体も厳しい財政状況の下、ハード面の整備においては厳しいのではないでしょうか。
現在、本町の財政状況においては比較的良好ですが、昔ほどではありません。 やはり人と人、ソフト面が大事だと考えています。 個人的なことですが、私には子どもがいません。私は日々、町内の子どもたちはみんな私の子どもだと思っています。 ですが私も58歳ですから子どもより、もう孫といった方が良いかもしれませんね(笑)、、、。
借りたい人は多いんです、貸す人が少ないんです。
古街の方を歩いていると空き家が多そうだなぁと思ったんですが、実際にはどうでしょうか? その対策なども考えていらっしゃいますか?
結構多いと思います。 香川県は8市9町ですが、各自治体においても「空き家対策」は重要課題ではないでしょうか。 他の自治体と比べ、空き家は少ないと思いますが、古街エリアは増加傾向にあります。
空き家バンクとか、例えば尾道だと空き家プロジェクトがあって 空き家をリフォームして移住者などに貸し出していました。 宇多津も空き家を貸すことができたら移住者や、お店をやりたいけど場所がないって人がどんどん宇多津に入ってくるんじゃないかなって思います。
空き家プロジェクト http://www.onomichisaisei.com/
「故きを温ねて新しきを知る」
魅力ある古街エリアの家を借りたい人は多いと聞いています。 自分が住んでいた家を他の人に見られたくないなど貸し手の皆さんにも様々な事情があるようですね。 しかし、最近変化がみられ現時点でも3軒の空き家について今後のご相談を受けているようです。 現在なんとか数は少ないですが、相談をいただけるようになってきました。少し前までは全くなかったのです が「”空き家対策の補助制度”」を設けたことにより、持主の方から積極的にそういう話をいただけるようになりました。
その制度がなかったら多分まだひとつも相談がないかもしれなかったですね。 まずはひとつだけでもモデルプランとして、みんなの見本となれば こうやって空き家が人に利用されるようになって、たとえばそこがお店になって 人が集まってくるようになったら、空き家を持っている他の方々も興味が出てくるかもしれませんね。
”古街の家”は見ましたか? http://www.co-machi-no-ie.jp/ あの建物は町で再生した古民家です。 その古街の家がひとつのロールモデルになってもらえればと思っています。
最初のモデルプランができたので今後はマーケティングができますよね。
再生の目的は町民のコミュニティスペースとして活用いただきたいとの思いと この施設がロールモデルになればと考えています。 洋館建てと和風の古民家ですので是非ご覧ください。
宇多津町民が1年で最高に熱くなるお祭りがある
宇多津といえば秋祭りですよね?
そうですね、最近は「うたづの町家とおひなさん」も賑わい多くの方に来町いただいています。この秋祭りの太鼓台というのはなんですか?
ちょうさっていってもわからないですかね、、、 ちょうさという太鼓台の中に太鼓が入っていて、太鼓をたたきながら、太鼓台を約70名の担ぎ手が担ぎ町を練り歩きます。町内には14台の太鼓台があります。 ぜひ、この秋祭りを皆様にもご覧いただきたいと思います。 今年は10月24日(土)と25日(日)です。 宇多津町一番の魅力といってもいいかもしれません ぜひ、またこの宇多津町に遊びに来て欲しいです。
みなさんに聞いても口を揃えて秋祭りとおっしゃいます。 きっと街の人たちもとても楽しみにしているイベントなんですね。 ぜひ見に行きたいと思います。
体験移住をされる皆さんは、地元の私たちが気がつかないことに多く気づかれることと思います。体験移住が終わったらぜひそのお話をお聞かせいただきたいと思います。楽しみにしています。
僕は8月24日〜31日までの8日間を宇多津町で過ごさせてもらいました。 その中で谷川町長を含め、町役場のまちづくり課の皆さま、宇多津町の皆さんとたくさん交流をさせてもらいました。 こちらの特集記事の方で、宇多津町について追記させてもらいます。 記事の公開ができましたら、お知らせさせて頂きます。
宇多津町ホームページ前田精肉店のコロッケ
精肉店はご主人の代から始めたんですか?
そうや~
-このイントネーションに人柄が溢れています。
おいくつの時からやってるんですか?
37年前やけに、なんぼだったかなぁ、、、 あのなぁ、一番最初は焼肉屋しよったんや 体がついていけんから、肉屋一本にしたんや ほんでな、大阪で10年ほど修行してきたんや
ご出身は香川なんですか?
宇多津ではないけど、香川や、飯山町の出身なんよ
焼き肉屋の前に修行されていたということですが、肉を見極めるような修行ですか?
そうやな、最初は肉の扱い方、どこを切れば肉が固い部分か、やわいところかいうてな あとは食べてみないとわからんしな 20代のころやったな、仕入れを始めたのは26か27の時やったな。
コロッケの秘密はやっぱり秘密
仕込みは時間がかかりそうですね
7:30からもう動き出しているな、学校とかに届けたりしとるからな お祭りの時はコロッケは1500個とか出るんよ宇多津の町は海に近く、海産物のイメージが強い。 お肉はどこから仕入れてくるんだろう
隣の坂出市で肉の品評会があってな、それに呼ばれてていくんや。やっぱりコロッケが人気あるんですか?先ほども買いに来ていたお客さんがいらっしゃいましたよね。
そうやなぁ、コロッケとささみが人気あるんや もうこの時間でも100個は売れたな。朝のうちに作ってるからな〜
-今は14時を過ぎたところだ 200個用意してあるんよ~と大きな冷蔵庫を指差して微笑んでいる
先日、コロッケを頂きました。玉ねぎがたくさん入っててとても甘くておいしかったです!
肉を切った日にだけコロッケを作る、昨日作ったから今日は作らん ジャガイモ25kgに対して、玉ねぎは7-8kg加えとるんや、あと肉やな。 味付けは秘伝やから教えられんけどな、あはは
これもな大阪で修行した時に学んだ味や このコロッケの作り方を教えたのは4人ぐらいにしか教えてない 教えたのも兄弟だけ 高松にもお店があって、飯山にもお店があってそこでも売りよんや もう兄弟は死んでしまったから、その子供がな、今も受け継いでやりよるんよ
さっき買いに来ていたお客さんはやっぱりコロッケを買っていったんですか?
そうや~あのひとはいつもあらかじめ電話で予約してくれて ここのコロッケじゃないといかん!言うて、20個買っててくれるんや。
町が便利になればなるほど、人情 から離れていくのかもしれない
新聞やテレビや週刊誌の取材もよく来るからな 新しいひともどんどん来てくれる、ひとかひとに広がっていくのが一番やな。 37年前にはまだ宇多津駅も、海側じゃなくて、すぐ近く内陸側にあったんよ 宇多津駅からここまで、、、この商店街には32軒もあって活気づいとったよ
今はもう8軒しかないのだそう 笑いながら言っているがやはり寂しそうだった。 最後にササミを揚げてもらったが、やっぱりもう一度コロッケが食べたくなって、 揚げてもらっている間にもう少しだけ話しをした。
16時35分に揚げるというメモが貼ってある 得意さんができているから毎日の売り上げは変わらない それだけ町のひとは飽きずに利用しているということなんだろう、いやきっとこのご主人とコロッケが揚がるまでの時間を楽しみに来ているのかもしれない この37年の間に大きなスーパーが4軒もできたから肉は売れなくなったよと明るく言う。 今度はイオンモールまでできる この前田のコロッケはイオンモールでも、スーパーでも買うことのできない人情味があるから きっと明日もシャッターは開いているはずだ。
住所:香川県綾歌郡宇多津町2072-5
定休日:日曜日
営業時間:8:00~19:00
ベトナムへいってきました(後編)
どくだみの葉っぱって食べるんですか?
ハノイで来たら、ほとんどの人がここにくるそうです!ダックキム! ここではハノイのつけ麺的料理、ブンチャーが食べられます。 ブンというのは米を平たくしたのがフォーだとしたら、米を春雨ぐらいにしたのがブンだと思ってください。 ブンチャーを頼むと、山盛りになったハーブたちと、山盛りになったブンが運ばれてきます。 そして、これがつけ汁。 このスープはとても甘く濃厚なダシになっていて、中に入っているのはハンバーグのようなものと、豚肉です。 このつけ汁の中に先ほどのハーブをちぎって好きなだけ入れるんですが、7−8種類の葉っぱが入っていて、どれがなんだかわかんないんですが わかったのは紫蘇と、どくだみでした。紫蘇はわかるけど、どくだみって食べれるの?お茶じゃないの?雑草じゃないの? しかし、意外や意外!なんかくせになる味。すごく強い味というか、どくだみそのものなので、抵抗はある方はいるとおもいますが この濃厚なつけ汁との相性はなかなかよかったです!ブンチャーはハノイに来たら是非食べてみてください!これは逆にホーチミンではあまりないんじゃないかな。 次は友人から勧められていたエッグコーヒーを飲みに行きました! 生卵が入ってるって聞いてたから、どんな味かと思っていましたが、要はミルクセーキとコーヒーを割ったようなもので、口当たりがほわほわで、そして激甘でおいしかったです。 ベトナムコーヒーもそうですが、暑い国って大抵甘いですよね、こういうのは。日本だったら飲まないですが、外国でならおいしく飲めます! こちらは屋台でめちゃくちゃ美味そうな肉が回っていたので、おじちゃんになんとなーくで話しかけてみたら、 こっから、ここまでで値段はこのぐらいだよ!って教えてくれました。500円ぐらいだったので、買って帰ったんですが これはご飯が進むくんでした!めちゃくちゃうまい。肉の脂身までうまいって本当においしいお肉ってことです! この料理の名称は謎です。韓国でもそうでしたが、言葉が通じないと、名称もわかんないのが残念です。 今回の旅の中で一番美味しかったものはこちらですね! これはヤシの実をくり抜いて、中のジュースをそのままゼリーに固めて、その上にココナッツミルクゼリーが乗ってるんです。 これを冷蔵庫で冷やしておいて、暑い中で食べる。最高です。 ヤシの実は南国によくありますが、体の水分と成分が近いそうで水分補給にもってこい。なんです。 ほんのり甘くて、しつこくない!ゼリーなのにごくごく食べれちゃう感じです。 これもあまりホーチミンではみかけないデザートのようなので、ベトナムを楽しむにはハノイも、ホーチミンも行かなくちゃだめですね。食も文化も北と南で全然違うのがベトナム
ベトナム春巻きや、パクチー!!と思って楽しみにしていたんですが、生春巻きも食べなかったし!あんだけ山盛りになった葉っぱの山の中にも パクチーは一切入ってなかったです。パクチー大好きだから、とても楽しみにしていたのに、、、。 とはいえ、自分が知っていた文化や食ってホーチミンのことばっかりだったんだなぁ。と実感した旅でした。 いつもの一人旅とは違って、家族で過ごすと自由はないんですが、こうやって家族と海外旅行に行けたことは感謝です。 最終日は家族揃って体調崩して、ずっと川の字でベッドで寝ていたのが良い思い出となりました。 では、最後に。 張り切って買ったバインミーサンドイッチがそんなにおいしくなかったよ!生いいね!w 次はホーチミンいきます!ベトナムへ行ってきました(中編)
夕方のハノイを歩いて、街へと出よう
蒸し蒸しと辛い空気に馴染む余裕もなく、交通量の多い街を歩きます。 バスを待っていると、スコール!そうするとベトナムの人は慣れたもんですね。 バイクの人たちはすぐさまバイクをとめて、雨合羽を取り出し着たらすぐに出発。そして止んだら、またバイクをとめて 雨合羽をしまいます。 レーニン公園の周りではたくさんの人が運動をしています。こちらの方はよく働き、そしてよく遊んでいる。 線だけ引いて、ロープを張ってバドミントンをしたり、ゴールのないサッカーをしていたり 必要と思われるものがなくても、みんなとても楽しそう。 あと、よく見かけたのはどういうゲームかわからないけど、勝負を見届けているのかみんなで囲んでゲームをしている様子をよく見ました。 街の中でとても気になったのはこれです。 ブティックのマネキンが90%の確率でなんか怖かったです。 不気味なので、少し小さめの画像にしておきます。 夕飯はビアホイに行きました。 ビアホイというのは生ビールという意味です。 しかし、ベトナムでは「ビアホイいこう!」と使うと「ビアガーデンいくよ!」というニュアンスになるそうです。 観光客もいないような、ローカルなビアホイにいって、湿った空気の中であまり冷えてないビールを飲むのは格別ですね、格別にあまりおいしくはなかったけど。 ただベトナムの雰囲気に酔える夜でした。 続きは後編!食べ物を紹介!ベトナムいってきました(前編)
旅の話の前に、ベトナムのことを知って欲しい
知って欲しいなんて言いましたけど、今回の旅で僕もガイドさんから教えてもらいました。 ベトナムって中国、フランス、日本の影響が深い国なんです。 3分で説明させて頂くと、 ず~っと清に占領されていたんですが、1858年のコーチシナ戦争あたりから ベトナムの北部、中部、南部を清とフランスが戦って勝っては占領する。を繰り返してました。1880年台になってからフランスも本気を出してきてついに1885年ベトナムすべてを占領し、統治下に置きました。 これが清仏戦争ですね、そして天津条約が締結されます。(なんとなく、聞いたことありますよね?) そのまま60年ほどフランス統治時代が長かったので、きっとこのタイミングでフランスパンがベトナムに入ってあのバインミーサンドイッチができたんじゃないか?というのは僕の妄想です。
そのあとに、第二次世界大戦で1940年にフランス領に進駐し始めたので、フランスと日本に半分ずつ統治されて、しまいには日本が占領します。しかし、日本は1945年8月14日に降伏を予告したので、ベトナム民族解放委員会が設立され、ホーチ・ミンが主席に選出されました!この方が国民に愛されているホーおじさんです!
1945年にベトナムは独立宣言を読みましたが、フランスは「そんなの知らないよ〜フランスの植民地にするぜ~」という気持ちが変わらず1954年には完全に南北で分断されてしまいます。この時に北側で首都のあるハノイをベトナムが、当時でいうサイゴン(現ホーチミン)のある南側をフランスが占領して戦います。 1965年になりアメリカがフランスの後を継いで戦争を始めるわけですが、これがあのランボーも関わっているベトナム戦争の始まりです!
そして!ついに来た!1975年!ベトナム勝利!!
ついにベトナム社会主義国として独立するわけです。その際にサイゴンはホーチミンに改名されます。そうなんです。ベトナムって独立してからまだ若い国なんです。ちなみに僕は食べるのが大好きなので、この歴史の中に食を見てしまいます。 ホーチミンのある南部はフランスとアメリカが長くいた土地です。だから、ホーチミンの料理がうまいんじゃないかと、、、。みなさんに求められているベトナム生春巻きも南部料理です!ハノイにはないんです〜〜意外!俺も求めてたのに!というわけで今回はハノイに行ってきたんです!
初めてのハノイ!行くと決まってから、ホーチミンとは真逆の方向にあることを知りました! 首都なのに、国の北端!日本で例えると、北海道の札幌に首都があるようなものです。 そしてハノイの情報が少ない!旅行ガイドブックもホーチミンばかりです。 どうした?!首都ハノイ!なにがあるんだ!あ、ホーチミン廟がある!ホーおじさんの愛称で親しまれるホーチミンさんが眠る建物だ! うう、これもどうせならハノイじゃなくて、ホーチミンにあってほしい、、、。 しかもホーおじさんのかわいそうなエピソードがあります。 ホーおじさんは亡くなる前に遺書を残しました。 「遺骸を火葬して北部、中部、南部に分骨して埋葬すること」残したんですが 国民に愛されすぎたホーおじさんは”姿そのままにミイラとして大事にされてしまっています。「うーん、何ともいえない!」
じゃ、ここまで長くなっちゃったから、続きは中編へ!